ロング・ロング・アゴー [著] 重松清

この本を思わず手に取ってしまったのは、そのタイトルからだった。
小さい頃に習っていたピアノの練習曲と同じタイトルだったのだ。
ロング・ロング・アゴーを練習していたのは小学校1、2年生くらいだっただろうか。
特に思い入れのある曲だったというわけでもなく、タイトルもメロディーも覚えやすかったのと、楽譜にひょうきんな顔をした猿の絵が描かれており、それがなんとなく好きだっただけだ。

毎週木曜日、バスに揺られピアノの先生の家まで通っていた。
当時は女子はともかく男子がピアノを習うなんてまだ珍しく、ずいぶんと同級生からからかわれたものだった。
特にピアノが好きだったわけでもないのに、友達とまだ遊んでいたいのを我慢して毎日きちんと家で練習してたっけ。
遊びたい気持ちを我慢しているのに友達にはからかわれ、一時本当にピアノがいやになってしまった時期もあった。その頃の僕は親が決めたことに抵抗するなんてとても出来ず、
『大人は子供にアレコレ言うくせに、自分のことは自由に何でも好き勝手に決められて、なんだか不公平だな。僕が大人になったらピアノなんてさっさと辞めて、好きなだけ友達と遊ぶんだ。』などと思ったものだ。

大人になった今、『自由』というものが当時想像していた自由とは違うことや、その頃知らなかった『責任』というものも知っている。

そんな気持ちで本をめくると、まるで当時の自分が体験したかような物語が幾つも描かれている。

あぁ似たようなことあったよな・・・と今度は物語の内容に惹かれ、またもや昔に思いを馳せる。

その頃の自分が大切に感じていたもの、忘れかけていた出来事を思い出すと
今の自分を素直な気持ちで見つめられるような気がする。

(著者が40代半ばの頃に書き綴られた『再会』がテーマの短編集。)

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