地元の非日常

新陳代謝する水の上のビル群

誕生から60年

今なお進化を続ける

不思議なビルの

秘密を探る!

豊橋市民であれば誰もが知っている「水上ビル」。]

牟呂用水を暗渠化した上に建てられた鉄筋コンクリート造3~5階建の板状建築物であり、3つのビル群によって構成されています。

その誕生は1964年(昭和39年)、人間に例えれば還暦にあたりますが、今尚新たな魅力を発信し続けています。

それはまるで旧くなった細胞と新しい細胞を入れ替えながら成長を続ける生物のようでもあり、全国的にも例を見ない唯一無二のビルと言えます。

そんな「水上ビル」について調べてみました。

(提供:大豊協同組合)

◆前代未聞のビル誕生は苦肉の策から

そもそも「水上ビル」とは愛称であり、豊橋駅から東に向かって、豊橋ビル・大豊ビル・大手ビルの順に並ぶ、3棟で構成されています。

いずれも高度経済成長期に建設されましたが、その歴史を辿ると戦後の闇市にまで遡ります。

1945年6月19日夜半の豊橋空襲により、市の中心部は一面焦土と化しました。

終戦を迎えると、駅付近に仮店舗や露天市場、いわゆる闇市が立ちます。すると闇価格の高騰や市場の混乱などによる無法地帯化を憂慮した行政は、闇市の取り締まりを強化するとともに、行政がお墨付きを与えることでコントロールできるよう組織化を推進しました。

これを受け1946年には「豊橋露天商組合」が組織され、駅前から移転。1948年に「豊橋市民市場協同組合」が創立され、1950年に駅前通りの小学校跡地を購入、“大きな豊橋をめざして”との願いを込め、58店舗が軒を連ねる「だいほう(大豊)マーケット」が誕生しました。

ところが1956年、終戦から10年余が経ち、徐々に市街化も進むと、駅前大通りという一等地に木造雑居マーケットは、防災と景観の両面から問題視されるようになります。

そして、度重なる移転交渉の末、1963年に「だいほうマーケット」の土地の名古屋鉄道への売却が決定します。

ところが、市街に58店を収容できる代替地はありません。

とは言え、駅前の一等地で商売をしていた商店が、郊外へ移ることを納得するわけもなく、暗礁に乗り上げてしまいます。

そこで生まれたのが、「牟呂用水の上が空いているから、その上にビルを建てれば?」という奇策。

そうして水路上に建つビルという前代未聞の建設プランが実行されることに。

そうして1964年に最初の水上ビルである「大豊ビル」が建設され、かつての「だいほうマーケット」の店舗が入居、新たに「大豊商店街」として生まれ変わりました。

翌1965年には「豊橋ビル」が、さらに2年後の1967年に「大手ビル」が竣工し、現在に至る水上ビルが完成したのです。

左から「豊橋ビル」「大豊ビル」「大手ビル」(提供:大豊協同組合)

◆混然一体となった空気感の魅力

水上ビルを構成する3つのビル。見た目や規模感は殆ど変わりませんが、所有者や運用形態はビルによって異なっています。

豊橋駅に近い「豊橋ビル」は養鰻組合を母体とする株式会社がビル全体を所有。

すべてが賃貸スペースとなっていて、1~2階が飲食店または事務所、3~5階が住居という構成。

住居部分にはベランダがなく、洗濯物を吊るした物干し竿が外廊下に出ている様は、アジア的な空気感を発していました。

所有者とテナントという関係性がつくられている「豊橋ビル」に対し、「大豊ビル」は商店街組合に属する個人による縦割り所有で、いわば3階(一部は4櫂)建てのコンクリート長屋という形態。

1階部分を店舗とし、2階以上を事務所や自らの住居として使用し、完成時には59店舗が店を開きました。ユニークなのはその構成で、小売店と卸問屋が混在。商店街と問屋街という2つの顔を持っていました。

最後に建設された「大手ビル」は、「大豊ビル」と同様、1~2階が縦割りの個人所有の店舗および居住スペースで、大手町にあった市場の商店42店舗が入居。

この2階建てコンクリート長屋の上に3層分の県営住宅を積み増すことで、個人所有の店舗兼住宅と賃貸住宅からなる複合ビルとして運営されています(賃貸住宅部分は耐震を理由に現在は閉鎖中)。

建設当初から用水上に建設されたビルは全国的に見ても珍しく、各地から視察団が訪れるなど、世間の耳目を集めました。

また、「大豊ビル」の問屋街は豊橋駅に近いことから、豊橋市および近隣地域だけでなく、静岡県西部や長野県南部からも多くの客が訪れ、1980年代までは問屋街に買い出しに来る人が列をなす程だったとのこと。

花火の卸問屋である天野商店の三代目の天野さんは「かつては卸売りが主でしたが、バラ売りもしているので、一般のお客さんもいらっしゃるようになって。今でも浜松方面からのお客さんもいらっしゃいます」と言います。

喫茶キャロンの女性店主は当時のことを「買い付けのお客さんが、よくウチを利用してくれましたよ」と振り返ります。

また、2021年7月に、立ち飲みが出来るタップルームを併設したクラフトビールの醸造所「TOYS BREWERY」を開いた小野さんは、高校生の頃に水上ビルをよく訪れていたそうで、「セレクトショップなど、おしゃれな店があれば、夜の店もあって。ちょっとあやしいというか、いかがわしいというか。そんな混沌とした雰囲気が面白かったし、好きでしたね」と客目線での水上ビルの魅力を語ってくれました。

ビルという空間に様々な個性が押し込まれ、混然一体となって発せられる独特の空気感は、意図して創り出すことはできないものであり、いわば偶然の産物。それが水上ビルを唯一無二の存在にしていると言えるかもしれません。

三代続く老舗の花火問屋の「天野商店」

◆シャッター街からの脱却

豊橋一の繁華街である広小路の南側に位置し、程よい“外れ感”のある街中スポットとして周辺住民に利用されてきた水上ビル。

90年代初めのバブル経済の崩壊後、郊外に広大な駐車場スペースを有する大型ショッピングモールが相次いで建設され、人々の活動範囲が郊外へと拡大すると、それまで豊橋の中心市街地の発展を支えてきた百貨店は往時の勢いを徐々に失っていきました。

そして2003年に豊橋駅前を代表する建物であり、かつ地方都市における一種のステータスシンボルでもあった西武百貨店が閉店すると中心市街地の衰退はいよいよ顕著に。

水上ビルも次第に客足が遠のき、やがて人通りも疎らに。

後継者問題なども絡まり、そこに居住はしていても商売の継続を断念した店が続出、他の地方都市と同様、シャッターで閉ざされた店舗が目立つようになりました。

そうした状況を打開すべく立ち上がったのが、後に大豊商店街の理事長を引き継ぐことになる黒野有一郎さんでした。

黒野さんは大豊商店街で生まれ、大学進学と共に上京し、東京の設計事務所での勤務を経て、2004年に帰郷すると同時に一級建築士事務所建築クロノを設立。

シャッター街となってしまった状況を憂慮し、地元の若者有志とともに水上ビルを舞台としたアートイベント「sebone」を開催するなど、水上ビルの活性化に尽力しました。

さらに大豊商店街50周年を迎えた2014年に理事長に就任すると、商店街全体を盛り立てるべく、2015年4月にフリーペーパー『DIHOU Journal』を発行したのに続き、同年6月に『雨の日の商店街』と銘打ったイベントを開催。

梅雨の4日間限定で、空き店舗にアンティークショップやハンドメイド雑貨などを扱う新たな店が開かれ、旧来の店舗の中に目新しい店舗が入り混じった景色は不思議な魅力を発信し、多くの来場者を集める恒例イベントに。

さらに当該イベントの出店を機に、恒久的な出店を希望する若い店主が続出し、空き店舗はほぼゼロに。人通りも徐々に増え、大豊商店街はシャッター街から脱却したのでした。

一連の活動について「若い人たちが頑張ってくれた。本当にありがたい」(喫茶キャロン)、「黒野さんが先頭に立って空き家問題に取り組んでくれたおかげ」(たばこセンターやまもと)、「人通りが戻り、活気づいてきたのは素直に嬉しい」(天野商店)と経緯を見守って来た店主の皆さんは高く評価。

特筆すべきは、小手先の工夫ではなく、商売をやめてしまった居住者に対し、イベントをきっかけにシャッターを開けることを説得し、若手経営者とのマッチングを図るなど、抜本的な解決に取り組んだこと。

黒野理事長のリーダーシップと行動力、そして商店街の店主たちの協力によって成された復活劇と言えるでしょう。

東海地区随一の品揃えを誇る「たばこセンターやまもと」
女性店主が一人で切り盛りする「喫茶キャロン」

◆変わるものと変わらないものと

見事にシャッター街から脱却した水上ビルについて、それぞれの想いを聞いてみました。

花火問屋の天野商店を営む天野さんは「今から15年位前に帰省した時は絵に描いたようなシャッター街。

5年前に店を継ぐために戻ってきたら、賑わいが戻っていて驚きました。うちは駅から離れていますし、基本は卸なので、目に見えてお客さんが増えたということではありませんが、活気が戻ったのは嬉しいですよ。やっぱり故郷なので」と心境を吐露。

地元の人に対しては、「(水上ビル自体が)珍しい建物でもあるし、新しいお店も入っていますし、うちみたいな昔からの店も何軒か残っていて、見るだけでも楽しいと思う」とアピール。懐かしさと新しさを同時に味わえる商店街であり、「フラット立ち寄って欲しい」とのことでした。

水上ビルの誕生と同時にオープンした喫茶キャロンは「主人が名古屋の会社に勤めていたため、駅に近い水上ビルに入居し、喫茶店を始めた」とのことで、「ご近所さんがしょっちゅう来て、時には子供の面倒も見てくれて、助けられた」と振り返り、そうした昔ながらの人情味や温かさを感じ取って欲しいと話してくれました。

2021年にTOYS BREWERYを開いた小野さんは、水上ビルのポテンシャルに着目。以前、食堂だった7坪の店舗に設備を組み上げ、ミニマムなクラフトビール醸造所に再生。向かいのエムキャンパスと水上ビルを行き交う人たちの憩いの場となっています。

入居に関して障壁がなかったか訊いたところ、「最初に大家さんに話した時は、こんな狭い所で醸造所ができるのか、と不思議そうな反応でしたが、そこは商売人。

ちゃんと説明すれば分かってくれました」と回答。

「商店街の皆さんも新しい仲間としてすんなりと受け入れてくれた」そうで、「古くから続く商店街の懐かしい雰囲気を味わいながら、うちのような新しい店とのギャップも感じて欲しい」と想いを語ってくれました。

スパイスカレーの専門店「and Beans」の店主である小池さんは、水上ビルで長年愛されてきた「江戸屋食堂」創業者の孫。

空き店舗になっていた店を引き継ぐ形で2021年にオープンしました。

高校生の頃には小遣い稼ぎでアルバイトに来ていたそうで、「当時は賑やかで活気があって。夜でも人通りがあった」と言います。

シャッター街当時のことは知らないものの、「イベントを開催するなど、努力して人通りが戻ったと聞いています」とのことで、「4、50代の人や若い人たちも来てくれています」と現状を紹介。

今後については「商店街はあくまで個人商店の集合体。昔から続く店も、新しく入って来た店も、個々で経営努力していけば、全体が盛り上がっていくのではないかと思います」と話してくれました。

一過性のブームに頼るのではなく、抜本的な解決に取り組むことによって、人の温かみが感じられる昔ながらの商店街の良さを残しつつ、新しい店を受け入れながら生まれ変わり、生誕60年の節目を迎えた大豊商店街と水上ビル。

シャッター商店街の再生という地方都市共通の課題解決の道筋を豊橋の商店街が示している事実は、まさに痛快。

水路の上に建つというビルの特異さを凌駕し、開業当時の願いである“大きな豊橋”に向けて、魅力を放ち続けています。

タップルームを備えたクラフトビール醸造所「TOYS BREWERY」
かつての「江戸屋食堂」を改装したスパイスカレー専門店「and Beans」

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