金子式天文台特集

宇宙少年を育てた漢【後編】

豊橋から全国へ!
日本の天文ブームに火をつけた孤高のアマチュア天文家、
金子功氏の生涯

【後編】受け継がれる野武士の魂

◆現実問題を解決するために

豊橋向山天文台は30cm反射望遠鏡を備えるなど、グレードアップを行う一方で、小型の望遠鏡をクルマに載せて各地を巡回する移動天文教室も始めました。

金子式プラネタリウムが高く評価され、全国各地から注文を受けるなど、資金的にも余裕ができたためでした。

折からの天文ブームもあり、豊橋向山天文台には多くの天文少年・天文少女が集まり、好評を博していました。

金子さんとしては素晴らしい天文の世界を子どもたちに伝えたい一心で取り組みました。

しかし、天体観測ができるのは夜間であり、いわゆる“天体ショー”を観ようとすれば、深夜に及んでしまうことも珍しくありませんでした。

もちろん子どもの安全を最優先するとともに、保護者の了承を得た上での開催でしたが、子どもたちの健全な育成という観点から、行政の指導を受けるようになりました。

加えて急速な経済復興に伴い、天文台周辺が明るくなり、次第に天体観測がしづらい環境となっていたことから、金子さんは豊橋から離れることを決意しました。

◆新天地を目指して曲折

新たな天文教育の拠点を探していた金子さんのもとに、愛知県作手村から「是非とも、うちの村に」と誘致の話が舞い込みました。

内容は天文台を中心としたキャンプ場を建設するというものでした。

金子さんには施設の目玉となる30cm反射望遠鏡を寄贈するという条件が出されました。

金子さんとしては豊橋の自宅から通える距離であったため合意。

約束通り30cm反射望遠鏡を寄贈し、施設は無事に竣工しました。

ところが行政側に問題が発生。金子さんは結果的に望遠鏡を寄贈しただけで、施設運営には一切関われないこととなってしまいました。

唐突に梯子を外されてしまった格好になり、悲嘆に暮れていた金子さんのもとに、今度は愛知県東栄町から、「廃校を利用してアマチュア天文家のための天文施設をつくりませんか」との誘いがありました。

街中では夜も明るくて満足な天体観測ができない、もっと大きな望遠鏡で星を観てみたい、そんな熱心な天体ファンのための施設をつくりたいとの思いから、金子さんは誘致を承諾し、新たな理想の天文施設づくりに乗り出すこととなりました。

東栄町も協力的で、30cm反射望遠鏡を備えた4mドームのある東栄町御園天文台が1972年(昭和47年)に竣工。

次いで天体写真撮影用の望遠鏡を備えた観測所と、定員60名の宿泊室と炊事場が完成、『御園天文科学センター』としてスタートしました。

もちろん金子式プラネタリウムも備え、観測所には金子さん手作りの機材が備えられ、1974年(昭和49年)に本格稼働を始めました。

金子さんは『御園天文科学センター』の運営に全力を注ぐべく、豊橋向山天文台を完全に閉鎖し、自宅も引き払い、天文台の設備や機材製作用の工作機械も含め、まるごと東栄町に移りました。

正に不退転の決意だったと言えるでしょう。

御園天文科学センターの天文台。左に見える建物は宿泊棟

◆理想と現実の狭間で

当時の金子さんは『御園天文科学センター』を単なる天体観測施設ではなく、奥三河の中山間地における一種の文化拠点しようという構想を抱いていました。

そして天文台や観測所を利用する天文ファンと町内の住民がふれあう中から新たな文化が育まれるはずと考え、所有していた天文機材の大半を町に寄付しました。

同時に、自然に恵まれた東栄町の地域特性を活かし、土地の生産力を高め、施設を中心とした文化活動による「文教の里づくり」構想を掲げ、施設を運営して行くことを町に提案しました。

しかし、この構想に対し、行政側が理解を示すことはありませんでした。なぜなら行政としては施設を建設することに意義があり、施設の運営自体には関心がなく、ましてや施設を核とした文化活動・文化振興のことなどまったく想定していませんでした。

それでも金子さんは巡回文庫や「こだまの会」と名付けた学習団体を運営するなど、自ら打ち立てた構想の実現を目指し、“地域おこし”に尽力し続けました。

ところが、こうした金子さんの熱意は行政に伝わらなかったばかりか、「天文台を私物化し、勝手に運営している」「何を企んでいるのか信用できない」など、いわれのない誹りを受けるようになりました。

純粋に天文ファンを思い、町の発展を願い、天文台も自宅も処分し、貴重な機材を寄付してまで当該施設に心血を注いできた金子さん。

その時の心境がどうだったのか、今となっては知る由もありませんが、簡単には立ち直れない程のショックを受けただろうことは想像に難くありません。

◆スターフォーレスト御園へ

こうして金子さんの描いた夢は、僅か6年で潰えてしまいました。

しかし、そこは野武士。金子さんは決して諦めませんでした。

幸いにして第2観測所として使用していた土地と建物は町に寄贈していなかったため、ここを新たな天文施設として活動を再開。

機材は25cmニュートン反射望遠鏡と25cmライトシュミットカメラ、そのほか小型の機材を備えるとともに、宿泊施設も併設。

誰にも縛られない自由な立場で活動を続けました。

金子さんはこの施設を『御園高原自然学習村』と名付け、天文学習だけでなく、社会教育全般を行う文化施設に位置付けました。

同時に山村文化を興隆するため、新たに『山村文化研究所』を立ち上げるなど、地域社会のための活動を続けました。

その後も一貫して天文学習・天文普及と社会教育事業に取り組むなど、偉大な足跡を残し、2009年(平成21年)に生涯を閉じました。90歳でした。

御園高原自然学習村

金子さんが設立に関わり、多くの天文ファンを集めた『御園天文科学センター』は約20年間活動した後、30cm反射望遠鏡を備えた天文台が廃止。活動に終止符を打ちました。

その後、東栄町は1994年(平成6年)、少し離れた場所に新たに60cm反射望遠鏡を納めた天文台と宿泊施設を建設。

『スターフォーレスト御園』として新たなスタートを切りました。施設の開業と同時に天文担当職員として入職したのが清水哲也さん。

尊敬してやまない金子功さんが暮らし、因縁浅からぬ施設の職員募集を見つけ、都会での便利な生活と安定した仕事を捨てて応募。

2022年(令和4年)に定年退職した後は町職員としてではなく、あくまで個人の立場から人材育成や機材の保守などの天文業務をサポート。

金子功さんの気高い意思と孤高の魂は、こうしてしっかりと受け継がれています。

施設名東栄町森林体験交流センター「スターフォーレスト御園」
住所〒449-0201
愛知県北設楽郡東栄町大字御園字野地91-1
電話0536-76-0687
受付・開館時間9:00~17:00

今回取材にご協力いただいた清水哲也さん

取材協力
東栄町森林体験センター・スターフォーレスト御園
清水哲也
松本幸久(Blue Stars)

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